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当事者Y・Hさん 体験談パート6

僕の武器・・・それは「ピアカウンセリング」

ピアカウンセリングという、新たな武器を得た「当事者のY・Hさん

NPO法人 障がい者福祉総合支援センター いちいちまるで働く前は、障害者生活支援センター いきいきで非常勤職員として働くようになりました。

いきいきでピアカウンセリンやILP(自立生活プログラム)を知って、僕も自立した生活を送るようになりました。

そしていきいきで働くようになって、他の人にはない自分のやりたいことに気づきました。

それは、高次脳機能障害の当事者なんだなと思い、それなら、当事者が集まる場を作っていきたい。

そんな思いが浮かんできました。(この時はまだ大阪高次脳機能障がいセルフヘルプグループ(略称:大阪KSG)をつくりたいとは思っていませんでした。)

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当事者Y・Hさん パート5

ひとり暮らしをするようになり、現在の場所に引っ越してくるころには生活リズムも整ってきました。

そして「障害者生活支援センターいきいき」に非常勤で働かしてもらうようになり、自分以外の障がいのある人たちと関わるようになりました。

これまでも友達として関わる事はありましたが、生活を支援(サポート)することはありませんでした。いきいきではピアカウンセリングやILPなど、今の自分(いちいちまるで働く自分)の最大の武器を手に入れることができました。

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当事者Y・Hさん パート4

一人暮らしを始めたころは、これまでの実家暮らしや、大阪市更生療育センターに入所していた時とは違い何をするのも自由でした。

それが自由すぎて生活のリズムが狂い、朝は寝ぼうする夜は遅い、まずはこの生活の立て直しから始めました。

2013年12月24日

当事者Y・Hさん パート3

一人暮らしスタート直後、夢の一人暮らし(自立生活)がスタート。

最初聞いていた話しは、一人暮らしをしたら門限もなくて朝起きるのも夜帰ってくるのも自由。

楽しいことだらけやで〜って聞いていました。それまでは大阪市更生療育センターに入所していたので、何もかも時間と規則に縛られた生活を送っていました。

それがいきなり時間が自由になって自立生活がスタートしました。

スタート直後は粉浜作業指導所に通っていたのですが、朝もよく寝ボウをしたり、夜帰ってくるのも不規則でした。

だから夢の一人暮らし(自立生活)は生活の立て直しからスタートしました。

2013年11月25日

当事者Y・Hさん パート2

まずは僕が自立するまでの話しをしたいと思います。
現在は「特定非営利活動法人 障がい者福祉総合支援センター いちいちまる」でピアカウンセラーをしています。
僕が自立して、この「大阪高次脳機能障がいセルフヘルプグループ」を立ち上げるまでにはいろいろなことがありました。
きっかけは僕が言語訓練(記憶の訓練)に通っている最中にピアカウンセリングと出会い、そこには自立して、いきいきと自立生活を楽しんでいる障がい当事者の方たちがいて、僕でも自立して一人暮らしができるんや〜って思ったのがきっかけでした。
平成25年11月4日

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当事者Y・Hさん パート1

僕が障がいを負ったできごと1999年5月のたしか4日の深夜、バイクに乗っていて転倒事故。

それから夜中、実家に電話があり、家族は僕が事故をしたことを知った。

そく救急病院に運ばれる。そこから入院生活が始まった。3か月ごとに病院を転々として病状も落ちついてきて退院。

だんだん一人で外出できるようになり、作業所にも通いだし人生のはばが広がる。

今は、NPO法人 障がい者福祉総合支援センター いちいちまるで障がいを持った仲間の自立をサポートしている。

そして大阪高次脳機能障がいセルフヘルプグループ(略称:大阪KSG)を立ち上げて、同じ障がいを持った仲間をサポートしていくことが、僕の仕事になりました。

このグループでは、メモをとることの必要性や大事さ、何かあったらすぐに相談してから(一呼吸ついて)行動することを覚えました。

平成23年12月16日

当事者T・Kさん 体験談パート4

 この間話の続きをします。

バス停1つの僕の冒険は少しづつ大きくなり今はなくなりましたが、赤バスと言うバスの停留所がありずっと乗っていたら約50分で家の前の停留所に戻ると言う冒険を知りました。

路線図を持って今度は遠い場所に出かけますが途中で降りることが出来なくただ景色を見て病気する前、知ってたはずの景色を何度も何度も僕の脳に叩き込みました。

「そんなん嘘やぁ!」と言われますが、それが見えない障がいと言うものを実感し始めました。

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当事者T・Kさん パート3

昔の自分を振り返ると・・・

話が前後になると思いますが、最初の頃一人では地下鉄も市バスも乗ることも出来ませでした。

身内の人間はふざけてると思ってたらしいですが、何もわからなかったです。

まず僕がしたのはバスの路線図を貰いに行って1つ先のバス停に行きます。

でもそこにはコンビニと言う目印があっていつも買い物に使ってた場所なんですがその場所がどこに居てるのかわからないのです。

僕の場合人に聞くことがまだ出来たから帰ることが出来ましたけど人によれば迷子になる事も有るらしいです。その時の僕はバス停1つが毎日の冒険でした。

当事者T・Kさん パート2

今一番言われて嫌なことは

なんで喜んでるのか?

なんで怒るのか?

なんで泣くのか?

なんで笑うのか?

この喜怒哀楽の感情が自分が出したいときに出されへん!

今はだいぶんマシになりました。

どんな症状だったかはまだ自分で説明するのは難しいです。

人から見たら身体の麻痺は杖を突いたり歩行器を使ってるので障がい者とわかると思うのですが高次脳機能障がいと言う病気は「目に見えない障がい」と言われるようにわかりづらいです。

今一番言われて嫌なことは「どこが障がい持ってるのかわかれへん」と言われるのが歯がゆいです。

当事者T・Kさん パート1

僕が障がい当事者になって思うこと

平成22年4月25日、コンビニのアルバイトしていた僕はいつものように夜勤の仕事終わって6時ごろ帰宅途中自転車の運転ができない。転倒して家に電話した。

そうしたら母が「また飲んでるんちゃうのん?」と言われ「救急車に電話し」と母親も最初はそんなに心配してなかったようだ。 119番に電話してから後は記憶がない。検査にて病名は左被殻出血、前交通動脈瘤と診断されて車いす生活に。そして手術後家族の名前もわからなかったらしい。 でも最初は右上下肢麻痺の方と言語障がいと失語障がいの方のリハビリが優先的になっていたので、その時は高次脳機能障がいと言う障がいがあることすら知らなかった。 それから平成22年6月〜平成22年11月リハビリ入院&退院。この頃もいい間違えがあった。「歯ブラシの事を歯磨き粉」「少年ジャンプを少年マガジン」まだまだあったはずが忘れてしまった。でもそこのリハビリの先生が言うには「時間が解決してくれる」とのことだった。

でもその日から母親に取っては地獄だった。 そこで母親が自立障がいセンターに相談した結果、急性期・総合医療センターに僕を連れて行きました。母親談「何が気に入らんのか、わかったら対応できるけど何を怒っているか不思議だった。それと面白くないのにずっと笑ったり、悲しいことがないのに泣いたり、この子は気でも狂ったんじゃないかと思ったらしい」 今でもあるみたいで切れて町の中をうろうろしたりそのことの記憶がなかったりします。あまり行った事ない場所は苦手です。 でも今はリハビリの結果、かなり改善しています。 あとは電話の内容が覚えられない。

病名;記憶障害、感情制御障がい等、高次脳機能障がいと認められ現在も持続している。 平成23

年12月16日

当事者I・Yさん パート3

先輩が見舞いに来てくれた!

私は、脳の左側にダメージがに右側が脳の右側が左側にダメージがあると右側に後遺症が残る見たいです。脳は頭の中でクロスしているみたいです。

私の場合は左脳でしたそれで私は3回も手術をしました不幸中の幸いだったのが意識がなかったこと。

それと私は夢を見ていましたその人は私が入院している時見舞いに来てくれた人です。その人が亡くなったのは退院してから知りました。何かまだこっちにくるのは早いといはれているようなきがしました。

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当事者I・Yさん パート2

私の障がいはゆるやかに回復してまいす

2009年6月9日脳卒中にかかりました(脳動静脈奇形)。

それからは前後の記憶4〜5カ月は全くなく覚えていません。まるで夢なかにいるみたいでした。

おかしなことに子どものことはおぼえていたのですが妻の顔は覚えていませんでした。父のことも母のこともわすれていなかったのに、妻の顔だけはどうしても思い出すことはできませんでした。

それと聞いた話なんですけど、M病院に入院していたらしいです。

何度も行った場所も家すら忘れていました。それが不思議なもので日が経つにつれてだんだんと思い出せるようになりました。

平成23年12月16日

当事者I・Yさん パート1

私の障がいを持って今・・・

脳の左側にダメージを受けて右半身麻痺になり始めは、字を書くことも、箸を持つことも出来ませんでした(ちなみに今でも左手で持っています)。

口も、鼻も、目も、足も、手も、みんな見ごとに右半分悪いのです。

私は、今ヘルパーの勉強をしています。何故かと言うと痒いところに手が届くっていうか、なんていうか・・・

でもなかなかどうして、どうしてもいざやってみたらそんなに上手くいくことはなく、とても難しいことだった。はじめは軽く考えてました。それが大きな間違いでした。

平成25年10月30日

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