当事者が経験したことを語ります。

成功体験

自分が記憶できないことを周りに伝えて、理解してくれる人を作る

失敗体験

スマホには予定だけを書いて、その結果を手帳に書きの残しておく(そうしておかないと、その予定が終わった予定なのか、これからまだやる予定なのかわからなくなるので)。

当事者Y・Hさん 体験談パート12

2021年12月23日

がっちが働くNPO法人いちいちまるに、生活介護あぃり~でできました。

僕もそこの利用者として、いちから頑張っていこうと思います。

当事者Y・Hさん 体験談パート11

2021年9月3日

秋雨前線の影響で、梅雨に戻ったかの空模様。

最近の俺は、どうやったらNPO法人いちいちまるのことを世間の方に、広く知っていただけるかそればっかり考えています。

そして考えた結果。俺にできる事。俺が得意なこと。

それはインターネットを使った宣伝。

とくにinstagramを使った宣伝をして、ヘルパーステーションひらので働くヘルパーさんも募集していきたいと思います。

当事者Y・Hさん 体験談パート10

2021年6月14日

今回が当事者の体験談パート10です。

パート9が2018年の春なので、もう3年も経ちました。

事故をして高次脳機能障がいの当事者になり、22年が経ちました。

前回の体験談から、時間が経ちましたが。

また少しづつ、書いていきます。

当事者Y・Hさん 体験談パート9

高次脳機能障害ををかかえた今の心境。

自分には何ができて、何ができないか?(不得意になったか)

それが見えてなかった昔の自分。

今は自分が高次脳機能障がいの当事者だって言えるようになってきた、2018年の春。

そう思えるようになったのは、今までできていたことをあきらめることができたからだと思います。

できていたことをあきらめる。それは後ろ向きなあきらめじゃなくて、前向きなあきらめ。

次に進むために、今できることを「一生懸命・力の限り・やりきろう」と思えた事が2018年春の心境です。

当事者Y・Hさん 体験談パート8

高次脳機能障害との付き合い方、その2

気持ちがのらないときってありますよね。

特にこの障害になって気づいたことがあります。

気分の上がり下がりがはっきり出るように思います。

だいたい僕の場合は、午前中の方が調子はよくて、午後から気持ちが落ちます。

これはこの障害になって脳の持久力が落ちたからだと思います。

事故をして17年がたち、だいぶ脳の持久力も上がってきました。

それでも夕方近くになるとヘトヘトになっています。

ヘトヘトになった時の解消方法は、とにかく休憩です。

休憩あるのみ!

これが僕なりの高次脳機能障害との上手な付き合い方だと思います。

当事者Y・Hさん 体験談パート7

高次脳機能障害との付き合い方、その1

仕事のはじめ方

仕事のはじめ方

その1、周りのみんなを巻き込んで仕事をはじめるきっかけをつくっています。

僕はなかなか物事のスタートを切ることができません。

だから「あの人がそれをやっているから、自分はこれをしよう」って感じで、仕事をしてい0す。

いきいきでピアカウンセリンやILP(自立生活プログラム)を知って、僕も自立した生活を送るようになりました

そしていきいきで働くようになって、他の人にはない自分のやりたいことに気づきました。

それは、高次脳機能障害の当事者なんだなと思い、それなら、当事者が集まる場を作っていきたい。

そんな思いが浮かんできました。(この時はまだ大阪高次脳機能障がいセルフヘルプグループ(略称:大阪KSG)をつくりたいとは思っていませんでした。)

当事者Y・Hさん 体験談パート6

僕の武器・・・それは「ピアカウンセリング」

ピアカウンセリングという、新たな武器を得た「当事者のY・Hさん

NPO法人 障がい者福祉総合支援センター いちいちまるで働く前は、障害者生活支援センター いきいきで非常勤職員として働くようになりました。

いきいきでピアカウンセリンやILP(自立生活プログラム)を知って、僕も自立した生活を送るようになりました。

そしていきいきで働くようになって、他の人にはない自分のやりたいことに気づきました。

それは、高次脳機能障害の当事者なんだなと思い、それなら、当事者が集まる場を作っていきたい。

そんな思いが浮かんできました。(この時はまだ大阪高次脳機能障がいセルフヘルプグループ(略称:大阪KSG)をつくりたいとは思っていませんでした。)

当事者Y・Hさん パート5

ひとり暮らしをするようになり、現在の場所に引っ越してくるころには生活リズムも整ってきました。 そして「障害者生活支援センターいきいき」に非常勤で働かしてもらうようになり、自分以外の障がいのある人たちと関わるようになりました。 これまでも友達として関わる事はありましたが、生活を支援(サポート)することはありませんでした。いきいきではピアカウンセリングやILPなど、今の自分(いちいちまるで働く自分)の最大の武器を手に入れることができました。

当事者Y・Hさん パート4

一人暮らしを始めたころは、これまでの実家暮らしや、大阪市更生療育センターに入所していた時とは違い何をするのも自由でした。 それが自由すぎて生活のリズムが狂い、朝は寝ぼうする夜は遅い、まずはこの生活の立て直しから始めました。 2013年12月24日

当事者Y・Hさん パート3

一人暮らしスタート直後、夢の一人暮らし(自立生活)がスタート。 最初聞いていた話しは、一人暮らしをしたら門限もなくて朝起きるのも夜帰ってくるのも自由。 楽しいことだらけやで~って聞いていました。それまでは大阪市更生療育センターに入所していたので、何もかも時間と規則に縛られた生活を送っていました。 それがいきなり時間が自由になって自立生活がスタートしました。 スタート直後は粉浜作業指導所に通っていたのですが、朝もよく寝ボウをしたり、夜帰ってくるのも不規則でした。 だから夢の一人暮らし(自立生活)は生活の立て直しからスタートしました。 2013年11月25日

当事者Y・Hさん パート2

まずは僕が自立するまでの話しをしたいと思います。

現在は「特定非営利活動法人 障がい者福祉総合支援センター いちいちまる」でピアカウンセラーをしています。

僕が自立して、この「大阪高次脳機能障がいセルフヘルプグループ」を立ち上げるまでにはいろいろなことがありました。

きっかけは僕が言語訓練(記憶の訓練)に通っている最中にピアカウンセリングと出会い、そこには自立して、いきいきと自立生活を楽しんでいる障がい当事者の方たちがいて、僕でも自立して一人暮らしができるんや~って思ったのがきっかけでした。

平成25年11月4日

当事者Y・Hさん パート1

僕が障がいを負ったできごと

1999年5月のたしか4日の深夜、バイクに乗っていて転倒事故。

それから夜中、実家に電話があり、家族は僕が事故をしたことを知った。

そく救急病院に運ばれる。そこから入院生活が始まった。3か月ごとに病院を転々として病状も落ちついてきて退院。

だんだん一人で外出できるようになり、作業所にも通いだし人生のはばが広がる。

今は、NPO法人 障がい者福祉総合支援センター いちいちまるで障がいを持った仲間の自立をサポートしている。

そして大阪高次脳機能障がいセルフヘルプグループ(略称:大阪KSG)を立ち上げて、同じ障がいを持った仲間をサポートしていくことが、僕の仕事になりました。

このグループでは、メモをとることの必要性や大事さ、何かあったらすぐに相談してから(一呼吸ついて)行動することを覚えました。

平成23年12月16日

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